研究と社会は、もっと近くていい。農研機構発ベンチャーと日本政策金融公庫が描くイノベーションのカタチ
農研ワンヘルス株式会社 取締役(CTO)・創業者大池 秀明(おおいけ ひであき)
東京大学大学院農学生命科学研究科で味覚研究に取り組み、博士(農学)を取得。2007年に農研機構へ入所し、食品成分と体内時計の関係を探る時間栄養学の研究を始める。2010年から2012年には、米国ウィスコンシン大学で老化に関する研究に従事した。帰国後は、時間栄養学や老化、食品の健康機能に関する研究を進めるなかで、乳酸菌の可能性に着目。農研機構が保有する約6,000株の乳酸菌コレクションの社会実装を目指し、2025年4月に農研ワンヘルス株式会社を設立した。2026年6月に上山智弥さんを代表取締役CEOに迎え、現在は取締役CTOとして研究開発を担う。農研機構上級研究員、日本時間栄養学会会長も務める。
日本政策金融公庫 土浦支店長黒武者 潤次(くろむしゃ じゅんじ)
1995年、国民金融公庫(現・日本政策金融公庫)入庫。支店や本部で経験を重ね、広島支店融資課長、南関東創業支援センター所長、前橋支店中小企業事業統轄などを歴任した。本部では創業支援策の企画・立案、南関東創業支援センターでは神奈川県・千葉県の創業・スタートアップ支援に携わる。2024年8月から、つくば市を含む茨城県南部を主な業務区域とする土浦支店長を務め、つくばのスタートアップ支援の現場にも積極的に足を運んでいる。
つくば市 政策イノベーション部 スタートアップ推進室 室長屋代 知行(やしろ ともゆき)
つくば市出身。大学で化学を専攻し、民間企業の研究部門を経て、2006年につくば市役所へ入庁した。経済産業省への出向や、政策企画、防災、シティプロモーション、市長直下の政策マネジメントなどを経験。現在はスタートアップ推進室 室長として、つくば市のテック系スタートアップ支援を担当している。つくばスタートアップ・エコシステム・コンソーシアムの運営や、研究者向けの事業開発支援、子ども向けアントレプレナーシップ事業などに携わる。
聞き手:つくば市スタートアップ推進室 室長 屋代知行
※本インタビューでは、スタートアップとベンチャーを同義語として扱います
研究者が起業を考えるとき、最初に立ちはだかるのは技術ではないのかもしれません。会社を立ち上げ、事業を動かすことが、これまでいた研究の世界と地続きに思えない。その距離が、大きな壁になることがあります。
一方、研究成果を社会へ届ける方法は一つではありません。急成長を目指して株式で資金を調達する企業もあれば、少人数で研究開発を続けながら事業を育てる企業もあります。事業の段階や目指す方向に応じて、選べる資金調達の方法や支援のカタチは異なります。
今回お話をうかがったのは、農研機構発ベンチャー第2号として2025年に設立された農研ワンヘルスの大池秀明さんと、創業を融資等で支える日本政策金融公庫の土浦支店長 黒武者潤次さん。聞き手は、両者をつないできた、つくば市政策イノベーション部スタートアップ推進室長の屋代知行です。
約6,000株の乳酸菌を、どう事業につなげていくのか。研究者が起業へ踏み出した背景と、その挑戦を支えた資金、人とのつながりをたどります。
01. 「研究者にもできるかもしれない」から始まった
屋代
大池さん
私は食品の機能性を研究し、食事と老化の関係を調べてきました。さまざまな食品成分を試すなかで、乳酸菌に注目するきっかけになる結果が得られたんです。
同じ頃、農研機構には、何十年にもわたって研究者が集めてきた約6,000株の乳酸菌があることもわかってきました。ただ、そのなかには、健康機能について十分に評価されていない株も多くありました。
このコレクションの可能性をいかし、自分が描く方向で社会実装まで進める仕組みをつくりたい。そう考え、会社を立ち上げようと思うようになりました。農研機構でもスタートアップ設立を後押しする動きがあり、その一環で筑波大学の『BizDev講座』に参加しました。事業計画のつくり方や会社設立までの進め方を学び、起業を具体的にイメージできるようになったんです。
屋代
研究と事業では、求められる考え方や役割に違いがあるとも聞きます。その距離を越えて、一歩踏み出せたきっかけは何だったのでしょうか。
大池さん
もともと私の中に、研究と社会はもっと近くていいという考えがありました。15年ほど前、ウィスコンシン大学へ研究留学したときに、その思いが強くなったんです。
ウィスコンシン大学では、大学の建物がまちの中に点在し、大学と市民の暮らしが自然につながっていました。夕方には、大学の先生の話を地域の人がお酒を飲みながら聞く場もある。科学と日々の生活が、とても近いんですよね。
研究は研究、暮らしは暮らしと分けるのではなく、研究者ではない人も気軽に科学の話をしていい。私は、そういうあり方が理想的だと感じました。
そうした考えを持つなかで、『BizDev講座』では、スタートアップも仮説を立て、検証を重ねながら進むと聞きました。それなら、普段の研究と大きくは変わらない。研究者にもできるかもしれないと思えたことが、実際にやってみようと踏み出すきっかけになりました。
02. 6,000株から、届く一株を探す
屋代
約6,000株という種類は相当な数ですが、その中からそれぞれの可能性をどう確かめていくのでしょうか。
大池さん
すべての菌株を、最初から人を対象とした試験で評価することはできません。そこで、まず培養細胞を使った試験で候補を絞り、その後、必要な検証を段階的に進めています。
私たちの強みは、多数の乳酸菌を保有しているだけでなく、何千もの菌株をまとめて評価できる試験の仕組みを築いてきたことです。一つひとつに大きな費用や時間をかけず、できるだけ効率よく特徴を調べられる方法を、何年もかけて構築してきました。
屋代
事業としては、自分たちで候補を見つけて企業へ提案する方法と、企業からの依頼に応じて探す方法があると思います。今後は、どのようなバランスで進めていくのでしょうか。
大池さん
両方を進めたいと考えています。私たちの側で特徴のある乳酸菌を見つけて企業へ提案する方法と、「こういう特徴を持つ菌株を探してほしい」という企業のニーズに応じて候補を探す方法です。この二つを可能にするのが、多数の菌株を評価できる仕組みです。
屋代
黒武者さんは、この事業モデルをどのように見ていますか。
黒武者さん
長年の研究成果や技術を製品化し、社会に還元していくことは、スタートアップの大きな目標の一つだと思います。ただ、そこへ至るまでには、必要となる資金をある程度自社で賄う手段を持っておくことも重要です。
農研ワンヘルスさんは、自社からの提案と企業のニーズに応じた開発を組み合わせることで一定の売上を確保しながら、次の展開につなげようとしています。その点は、事業を育てるうえでも大切だと感じます。
屋代
乳酸菌は身近な存在ですが、菌株によってそれほど違いがあるものなのでしょうか。
大池さん
私たちが探しているのは、一つの「すごい乳酸菌」ではありません。乳酸菌は種によって性質が異なり、同じ種でも菌株が違えば、試験で見られる反応が変わります。本当に、一株ごとに個性があるんです。だから、目的や対象に応じて、合う可能性のある菌株を探すことが大切です。
屋代
ペットや家畜、養殖の領域にも取り組んでいるのは、なぜでしょうか。
大池さん
もともと、マウスを用いて乳酸菌の働きを調べていました。動物を用いる研究は、動物福祉に配慮し、所定の手続きを踏んで進めることが前提です。
研究を進めるなかで疑問に感じたのが、同じ乳酸菌でも、マウスと人、犬や猫、家畜などで、同じような反応が見られるのかということでした。細胞には乳酸菌を認識する受容体があり、その働きには動物種による違いがあります。そこで、それぞれの動物種に対応する受容体を使い、どの菌株がどの対象で反応しやすいかを調べる方法を考えました。
人には人、犬には犬、牛には牛というように、それぞれの特徴を踏まえて候補を選び、評価することが大切だと考えています。魚は哺乳類との違いも大きいため、養殖に活用する場合には、魚を対象とした研究や評価が必要です。
私たちが目指しているのは、人や動物など、対象や目的に応じた候補を探し、必要な検証を重ねたうえで届けられる仕組みをつくることです。
社名に掲げた「ワンヘルス」は、人、動物、それを取り巻く環境の健康を一つながりのものとして捉える考え方です。乳酸菌研究の対象も人だけに限らず、ペットや家畜、養殖魚などへ広げ、それぞれに応じた可能性を丁寧に探っていきたい。そうした思いから、この名前を付けました。
屋代
約6,000株を調べるのは、気の遠くなるような作業にも思えます。探すこと自体のおもしろさもあるのでしょうか。
大池さん
私たちにとって、乳酸菌ライブラリは宝の山なんです。約6,000株の中から、それぞれの特徴を探していく。まさに宝探しですね。探しているだけでも楽しいですし、「これだ」と思える菌株が見つかったときは、本当に嬉しいです。
03. 事業を育てる資金と、つくばで広がるつながり
屋代
ここからは、日本政策金融公庫の黒武者さんにうかがいます。農研ワンヘルスへの融資を検討するにあたり、どのような点を評価されたのでしょうか。
黒武者さん
融資を検討する際には、「ヒト・モノ・カネ」の三つの視点があります。
「ヒト」は、その技術を生み出した経験やキャリア、そして会社として事業を動かす体制です。研究開発と経営の両面を担えるチームになっているかも大切です。
「モノ」は、会社や経営者が持つ技術やノウハウなどです。どのような独自性や優位性があり、社会へどのような価値をもたらし、高い成長性を実現していくのかを見ます。
「カネ」については、融資ですから将来的な返済が前提です。ただ、スタートアップは、初めから十分な売上や利益があるとは限りません。数年先の事業化や収益化までの具体的な道筋があり、共同研究や受託開発なども含め、そこまで事業を続けられる資金計画が立てられているかも確認します。
農研ワンヘルスさんは、農研機構さんのもつ約6,000株の乳酸菌ライブラリを活用できるとともに、それらを評価する高度な知見やノウハウをお持ちです。研究開発と経営の体制、事業化までの計画も含め、実現に向けた準備が進んでいると感じました。
屋代
ディープテック・スタートアップには、どのような可能性を感じていますか。
黒武者さん
一番の強みは長年の研究に裏付けされた画期的な技術やノウハウを持っていることだと思います。独自性の高い技術は模倣されにくく、製品やサービスの高付加価値化の源泉となって、高い成長につながります。そして、何より世の中が抱えるさまざまな課題解決を通じて、社会経済を大きく変える可能性を秘めていることが魅力だと感じています。
屋代
大池さんにもうかがいます。今回は、日本政策金融公庫から融資を受けられました。研究開発に時間のかかるスタートアップにとって、融資を選べることにはどのような意味がありましたか。
大池さん
融資を受けられたことは、本当にありがたかったです。
株式で資金を調達する場合、投資家と事業の方向性を共有しながら、一定の時間軸で成長や収益化を目指すことになります。技術や製品がカタチになり、大きな資金を投じれば社会へ届けられる段階では、出資も大切な選択肢だと思います。
一方、私たちは一つの製品を完成させて終わりではなく、これからも研究を続けながら、さまざまな可能性を探っていきたいと考えています。今の段階で、研究の方向性を保ちながら運転資金を確保できたことは、とても大きかったです。
屋代
最後に、つくばで起業する環境について、お二人にうかがいます。大池さんは、起業の準備から会社設立まで、どのような支えを感じましたか。
大池さん
つくばには、ディープテック・スタートアップを立ち上げた研究者が身近にいます。そのことが、大きな安心感になりました。
『BizDev講座』や、株式会社つくば研究支援センターのイベントでは、国立研究機関や大学の研究者が実際に起業している姿を見ることができます。先に挑戦した方から、進め方だけでなく、どこに難しさがあるのかも学べました。
会社を始めると、資金や労務など、研究とは異なる分野でわからないことが出てきます。そんなときも、支援機関へ相談すると、利用できる制度や次の相談先を教えてもらえる。一人に相談すると、また次の人へつながり、少しずつ道ができていくところは、とても心強いと感じました。
屋代
黒武者さんは、つくばのスタートアップ・エコシステムをどのように感じていますか。
黒武者さん
支援機関やアクセラレーター、研究機関、大学、金融機関など、立場の異なる組織同士のつながりが強いと感じています。
ピッチイベントや交流会では、先に起業した方から経験を聞いたり、金融機関など異なる立場の人と話したりできます。そこで得た気づきや学びが、次のつながりを生む。研究者が起業に挑戦するうえで、心強い環境だと思います。
屋代
つくば市としても、関係機関が実際に交流する機会をつくってきました。『BizDev講座』で日本政策金融公庫にお話しいただいたり、市のイベントにコンソーシアムのメンバーをお招きしたりしています。一つひとつは小さな取り組みですが、そこで生まれた出会いが次の相談や連携につながっていく。そうした関係をつなぐことが、市役所にできる役割の一つだと思っています。
最後に、これから起業を考える研究者や学生へ、メッセージをお願いします。
大池さん
起業する前の怖さは、やはり大きいです。生活が変わったり、収入が減ったりする可能性もあります。怖さがなくなるわけではありません。
ただ、国やつくば市、農研機構などによる支援があり、実際に動き始めると、さまざまな方が力を貸してくれました。一人ですべてを抱え込まず、周りに相談しながら進められる環境があることは伝えたいです。
私自身は、研究とビジネスを、それほど遠いものだとは感じていません。研究者として事業の世界にも踏み込むことで、ものの見方やできることが広がり、研究にも新しいおもしろさが生まれました。起業だけが答えではありませんが、研究を社会へ届ける方法の一つとして、この世界をのぞいてみるのもよいのではないかと思います。
黒武者さん
起業は、明るい面だけでなく、不安やリスクを抱えながら一歩を踏み出すものだと思います。ただ、つくばには支援機関や相談相手がいます。一人ですべてを抱え込まず、周囲の力を借りながら進めてください。
日本政策金融公庫は、すでに起業された方、起業の準備をされている方はもちろん、「いつか研究成果をいかして、こんなことができたら」と起業に興味をもっている方や具体化していない方のお話も伺っています。
対話や壁打ちを重ねるなかで、お互いの理解が深まり、事業計画も少しずつ具体的になっていきます。こうしたコミュニティーや交流の場に、「まだ自分には関係ないかな」と遠慮してしまう方もいるかもしれません。でも、私たちもできるだけそうした場へ足を運んでいますので、まずは気軽に声をかけていただきたいです。そこからコミュニケーションを始めることが、最初の一歩なのかなと思います。
[つくばスタートアップパークに相談する]
起業や経営にまつわる悩みを、気軽に相談できます。
[つくばのスタートアップイベントに参加する]
つくばのエコシステムを体感できるイベントを定期開催しています。
三人の対話を通じて見えてきたのは、研究者が事業へ踏み出すために必要なのは、特別な決意だけではないということでした。
研究者が重ねてきた仮説と検証。約6,000株の乳酸菌の可能性を確かめるために築いた評価の仕組み。そして、事業の段階や目指す方向に応じて選ぶ資金調達。これまで積み重ねてきたものの延長線上に、起業への入り口がありました。
ただ、研究成果を社会へ届ける道は、一人でつくるものではありません。先に起業した研究者の経験を知り、大学や支援機関、金融機関へ相談する。そこから人と人がつながり、次に進む道筋が少しずつ見えていきます。
起業を選ぶかどうかも、どのような資金を選ぶかも、それぞれの研究や目指す先によって異なります。日本政策金融公庫には、融資を受けると決める前から相談できます。構想の段階から、誰かに話してみることができます。
大池さんは、乳酸菌を「宝の山」と表現しました。
「これだ」と思える菌株が見つかったときは、本当に嬉しい。
その嬉しさを手放さずに研究を続けるために、これからどんな選択を重ねていくのか。あなたの研究を社会へ届けるとしたら、まず誰に、どんな話をしてみたいですか。
スタートアップが挑戦し、成長し、世界へ飛び立つ旅の物語
“つくばスタートアップジャーニー”
未来のための、あなたの旅の仲間はここにいます。
つくば市では、スタートアップ一社ごとの成長というよりも、企業や研究機関などがつながり、地域や社会の課題解決へ新しい価値を生み出すことを重視しています。そのうえで、農研ワンヘルスを設立した経緯から教えてください。